東日本大震災の発生から昨日で12年、ちょうど干支ひとまわりでした。
東日本大震災は私がいまの仕事の世界に入るきっかけとなる出来事でした。
当時仙台でコンサートイベント制作会社に勤めていた私は、何かの研修会に参加しており、ビルの6Fで地震にあい、立っていることができず床に這いつくばって揺れが終わるのを待っていました。
すぐに帰宅命令があり、亀裂の入った道路を徒歩で進み、家にあった自転車で保育園に子どもを迎えに行きました。
幸い津波区域ではありませんでしたが、自宅マンションのエレベーターや機械式駐車場は動かず、水・ガスも当然止まっていました。マンションに損壊はありましたが住める状況ではありましたので、避難所には水や物資の受け取りでとてもお世話になりました。
近くに電力会社あったためか電気の復旧が数日で行われました。そこで初めて津波被害の映像を目にしました。ガスと水道は復旧には時間がかかりゴールデンウイークが終わってからの復旧だったと記憶しています。
初めて経験することばかりで、たくさんの悲しみをみて、否応なくこれから先自分がどう生きるのがいいのか考えさせられました。何の専門性もありませんでしたが、漠然と東日本大震災の復興に関わることで何か自分にできることがないのかと考えるようになっていました。
たまたま新聞広告で見た求人に問い合わせを行い、2011年8月にセーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(SCJ)という子ども支援NGOに入局しました。SCJは東日本大震災発生直後に東北に入り、避難所の中で子どもの居場所を展開していました。岩手・宮城・福島に事務所をつくり被災した子どもやその家族の支援を大規模に行っていました。
そこで私は岩手県の陸前高田市、宮城県の気仙沼市、福島県の大熊町や楢葉町の事業を担当し、拠点の仙台事務所と本部の東京事務所を行き来しながら4年間を被災した子どもたちの支援に費やしました。
SCJの復興支援事業は5年間で終了することになっていましたので、子ども支援をもっと続けたかった私は、事業撤退を待たずに仙台のNPOに席を移しそこから4年間、困窮世帯の子どもの無料学習支援事業や子ども食堂の運営に携わりました。
2019年からは復興支援でご縁を頂いた福島県で子ども食堂の中間支援を4年間させて頂きました。
震災後の私の12年は東日本大震災がなければありえない、もう一つの人生だと感じています。
当時7歳・4歳・1歳だった3人の子どもたちも大学生・高校生・中学生になりました。
私の都合で仕事も変わっていましたし、父親の役割をどの程度果たせているのかいまだわかりませんが、それに付き合ってくれている妻を含めて家族に感謝しています。
そんな私の最後(?)のわがままな挑戦が4月から始まります!
震災前の経験も震災後の経験もすべてつぎ込んで始めるのがKIDS ARE ALRIGHT PROJECTです。生真面目でおっちょこちょいな仲間(鈴木篤・魔法使いタイプ)とともにコロナ禍に舟を漕ぎだします。戦士タイプと僧侶タイプの仲間も募集しています笑。
北海道から始まる私たちのドタバタ冒険劇をぜひいっしょに楽しんで応援してください!
3月30日までのクラウドファンディングへの多くのご支援ありがとうございます。
達成率60%まで来ました。手数料免除に向けて残り19日、最後の一押しご協力よろしくお願いいたします!
KIDS ARE ALRIGHT 代表 宮川(あっち)
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